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木曽は「へぎ師」の里
木曽地方では古くから「板へぎ」の技術が継承されていました。
一般住宅の屋根も当たり前のように板葺でした。
木曽は「へぎ師」の里
木曽地方では古くから「板へぎ」の技術が継承されていました。身近なところに木材がたくさんありましたから、一般住宅の屋根も当たり前のように板葺だったようです。古い住宅を解体すると瓦の下から屋根板が出てきます。
これらの屋根板は専門の職人が加工したものではなく、各家で自給自足していたそうです。技術の説明を会社見学会などでしますが、年配の方々はよくご存じで「まだやっていたのか?」などと言われるくらいです。
これらの板葺屋根が木曽地域から消えたのは、昭和25年に起きた「上松町の大火」が大きな要因です。一軒の家が火災になると、飛び火した火の粉が屋根に落ち、次々と燃え広がってしまったのです。それ以降、消防法の制約から、一般住宅における木材の使用率が厳密に定められ、屋根を板葺にすることは不可能になりました。当時、木曽郡内には相当数の「へぎ師」がいたようですが、板葺屋根の減少と高度成長が相まって、他の仕事に変わってしまいました。
当社が現在に至るまで操業を続けていられるのは、文化財に指定された建造物工事に携わっていたことから一つ上の技術を身につけていたからだと思います。いくつもの苦難を乗り越え、次の時代に向けて歩んでいけることは先代をはじめ、多くの職人の努力の賜物です。同時に、この地域が「へぎ師の里」であったように、郷土の伝統技術であることもしっかりと伝えていかなければなりません。
かつては大勢の「へぎ師」がいた木曽の地
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